
最近、「欲望」について考えることが多いです。
特にスピリチュアル界隈では
- 欲望は執着になる
- “ない”ではなく“ある”に目を向けよう
- 欲は超越すべきもの、欲を手放そう
という文脈で語られることが多いですね。
だから欲をもっていたり、欲が湧いてくることを
「悪いこと」「よくないこと」
と思っている方も、多いのではないでしょうか。
でも、本当に欲望って持っていてはダメなもの、手放すべきものなのでしょうか?
今日は欲についての私の気づきや考え方をシェアさせてください。
欲望は「悪」なのか?──スピリチュアル界隈の誤解


私たちは日々、さまざまな欲求、欲望を抱きます。
それこそ「喉が渇いた」「トイレに行きたい」といった生理的なものから、「豪邸に住みたい」「きれいになりたい」「モテたい」みたいなものまで。
スピリチュアルを探求するプロセスでは、欲と執着が同じものとして語られたり、スピリチュアルな進化を遂げた人は欲から解放されている=もう欲を持たない状態で生きている、と思われていたりします。
そこで、日々湧いてくるさまざまな欲を、スピリチュアルな成長のために
「悪いもの」「持っていてはダメ」
と、消そうとすることがあるのですが、実際には欲を禁じれば禁じるほど苦しくなっていき、ますます
「欲を手放せない自分=ダメな自分」
と、みずからを責めてしまいやすくなります。
これ、私も通ってきた道なので、よくわかります。
この苦しさを解放するためには、欲と向き合い、自分を知るプロセスが欠かせません。
そしてそのプロセスは、自分の魂の意外な姿に出会うものになるかもしれません。
それではまず「欲」「欲望」って何なのか、これに向き合ってみましょう。
欲望は命の自然な流れ──人間と欲の深い関係


三大欲求とか八大欲求とか欲求5段階説などと言われるように、人間と欲は切っても切り離せないものです。
なぜ私たちは必ず欲を抱くのか?
理由はきわめてシンプルで根本的です。
それは生命を維持する必要があるからですね。
食べなきゃ死んでしまう、寝なくても死んでしまう。
命を長らえさせるには安全が欠かせないし、社会の一部である以上、他者との関わりによる欲求も出てきますね。
- もっといいクルマに乗りたい
- いいね!がほしい
- 自分の居場所があると感じたい
- 人の役に立ちたい
など、これらの他にもいろいろあると思います。
生命活動を維持する必要もあるし、社会との関わりを持ちながら生きている以上、欲求(欲望、欲)はどっちにしても出てくるものです。
出てくるのが自然なもの、それが欲です。
執着とは?「ないと価値がない」が心を縛る


ではなぜ、欲が悪とされるのかというと、欲が人間の苦しみを生み出す側面も確かに存在しているからです。
たとえば食欲が暴走すれば暴飲暴食につながり、
性欲が暴走すれば依存や性犯罪につながってしまう……というふうに。
さらに、人類の歴史のある段階において、欲を禁じることが宗教的に自分を高めることになるとされていたことも影響していると思います。
しかし食、性、金銭、地位、評価、美、環境、恋愛…といったものは、本来中立であり、罪ではありません。
けれどもその欲の質が「それが欲しい」から「それがないと自分に価値がない」に変わった瞬間、欲が執着に変わるのです。
すべての欲が執着とイコールではなく、「外のもの」に向けて依存した欲が、執着なのです。
言葉を変えると、「何かを自分の一部だと錯覚している状態が執着」とも言えますね。
執着は人生を苦しめますし、手放そうとすればするほど心が苦しくなっていくのも執着。
ですが、「誤認している状態が執着」だとすれば、気づいてほどくことができるはずです。
そう、「手放す」よりも「ほどく」というイメージのほうが変化を起こしやすいです。
執着ですら、自分を守ろうとした愛の名残りなのだと、私もスターライトヒーリング®を通して知ることができました。
欲望の正体に気づくと、魂の声が聴こえる


本来、欲は人間の自然な命の流れの一部です。
食べたい、愛されたい、知りたい、創造したい…
こうした気持ちがあるから人間は生命活動を続け、繁栄し、進化を続けています。
なので、無理やり「欲を手放さなきゃ」と思う前に、まず自分の欲を知ることが必要です。
「あ〜私、お金を稼ぎたいと思ってるんだな」
「モテたいと思ってるんだな」
「楽したいんだな」
その欲がとんなに世俗的で、自我にまみれているように見えても、まずは自分が何を望んでいるのかを知らないと、その欲をどう扱えばいいのかわかりませんから。
欲望の奥にある「いのちの願い」とは?


自分の欲が何か、何を望んでいるのかがわかったら、次にすることは、その欲の背景にある「魂の願い」にアクセスすることです。
するとどんなにエゴから出たように見えた欲望もすべて
「いのちの神聖な願い」
だったことが必ずわかります。
たとえば、「もっとお金を稼ぎたい」の背後には
「安心したい」とか「自由に生きたい」
という魂からの願いがあるかもしれないし
「モテたい、ちやほやされたい」の奥には
「ありのままの自分で大切にされたい」
といういのちの願いがあるかもしれません。
これらはとてもピュアな願いなのです。
「ある」に気づいたとき、欲は羅針盤になる


すると、
「あ、自分ってこういう時は安心を感じられてるな」
「お金を稼ぐ前でもここに自由があるな」
「大切にされてるって、こういう場面でも感じるよな」
と、奥深くの願いが満たされている瞬間をすでに体験していたことに気づきやすくなります。
欲望が魂、いのちとつながることによって自然に「ない」から「ある」に目が向くようになります。
そして、それでもなお、
「稼ぎたい」とか「モテたい」
という欲があるならそれを持ち続けていいんです。
ひとたびいのちとつながった欲は、もう隠されるべきものでも、手放すべき悪でもなくなります。
欲をこじらせて、腐らせることがなくなっていきます。
それは人生を導く、澄んだ羅針盤になるのです。
というわけで「欲の深掘り」、ぜひ楽しくやってみてくださいね。
「えっ、私って、こんな願いを魂に持っていたんだ!」
と、ちょっとびっくりする発見ができると思いますよ。
その発見こそが、あなたの魂があなたに伝えたかった大切なメッセージかもしれません。
自分の欲望にOKを出せたら…
今、自分の欲望にOKを出せたあなたは、もう大きく扉を開いてる人です。
でもその扉の向こうに、どんな景色があるか……一緒に見に行きたくなったら、いつでも声をかけてくださいね。



今日も、あなたの中の光とつながって生きられますように。