自分自身を救いたい
前回の記事では、私とヒーリングとの出会いや衝撃、そしてヒーリングを学ぶに至った決意などについてお話ししました。
私はとにかく自分を救いたいと思っていました。
常に抱えていた、「自分は決して幸福にはなれない」という思い。
この世界に安心できる居場所が無い感覚。
そうしたものを抱えて混乱や不健康の中に留まり続け、満足や安らぎを感じないまま寿命を迎えるのは嫌だと、心底思ったのです。
そんなときに出会ったヒーリングの本によると、「私は自分自身の人生を生きている」という満たされた状態であるためには、どうやら自分自身の生命力で満たされている必要があるらしい。
そのためには自分自身に属さないエネルギーを手放すヒーリングのスキルを身につける必要がありそうだ。
そこでヒーリングスクールに申し込みました。半年間の初級コースです。
そしてコースの受講料は、当時の私の半年間の収入を軽く上回るお値段でした。むしろ当時の年収に近かったかもしれません。
家族の交通事故と感情のジェットコースター
講座が始まるまでの数ヶ月間は
「これは私の人生を変えるために必要だ!」
そう強く感じながらも、
「でも怪しいところだったらどうしよう」
「壺を買いなさいとか、水を買いなさいとか、あなたには悪魔が憑いているとか言われるんだろうか」
疑念や不安もたくさんわいてきて、毎日毎日ジェットコースターのように感情がアップダウンを繰り返しました。
そんな中、家族が交通事故に遭ってしまいました。
幸い命に別状はなかったものの、7時間にも及ぶ大手術が必要で、私は身動きの取れない家族の手足となってケアに忙しく追われ、ついにはストレスから何も食べられなくなって、食べても戻してしまうという状態になりました。
それでも仕事を休めなかったので、毎日真っ青な顔で電車を乗り継ぎ、仕事先へと向かっていました。
そうこうしている間に、ヒーリング講座の開講日は一日、一日と近づいてきていました。
私はまだ、ヒーリングを学ぶということに100パーセントの信頼を持てずに揺れ動いていました。
「いいさ。どうせ今の状態のままでいたって、人生は辛いだけなんだ。
自分一人では人生を変える方法がわからないままなんだ。
だから行ってみて、少しでも怪しいところだったら速攻で帰ってこよう」
こうして私のヒーリング修行が始まったのです。
視界が変わる
とはいえ、私はまだまだヒーリングを学ぶということに対してたくさんの疑いを持っていました。
ですから
「少しでも怪しいそぶりがあったら、速攻で逃げ帰ろう」
と思いながら授業を受け始めました。
スクールの教室にはたくさんの椅子が並べられており、机はありませんでした。つまり、ノートを取ったりメモをしたりすることなしに授業が進められていったのです。
ヒーリングはもともと口頭伝承で伝えられてきたという背景があり、そのスクールでも講師が口頭で説明をしたら、すぐにそれを実践していくというスタイルでした。
なので、「ちゃんと覚えてからやろう」とか、「理解できたらやろう」なんていう考えは通用しません。
わけがわからないまま、説明されたとおりの手順で、とにかくワークをしていきました。
すると確かに、「なんとな〜く」ですがエネルギーの手触りや手応えを感じられたのです。
また、ペアを組んでヒーリングをした相手にも変化が現れ、ヒーリングを受けた私自身もそれは同じでした。
「でも、気のせいかもしれない」
「思い込みかもしれない」
そういう気持ちも持ちながらも、けれどもヒーリングを受けることで確実に体はほぐれ、心も軽くなっていました。
そして初日の講義の帰り道のことです。
なんてことない、街中の景色が、それまでよりも格段にはっきり、くっきりと、美しい色合いで目に飛び込んできたことに驚きました。
「あれっ!? 視力が上がったかな!? 街ってこんなにきれいだったかな!?」
一緒にスクールの建物から出てきた、他の受講生たちもそう言っていました。
これは、オーラの中の陰りが取れたから視界がクリアーになったのだ、と、今ならわかるのですが、その時は本当に不思議だったことを覚えています。
次回に続きます。