前回のブログでは、ヒーリングとの出会い、
そして「このままじゃダメだ」と感じてスクールに申し込んだところまでを書きました。
あの頃の私は、とにかく——
「自分を救いたい」
ただ、それだけでした。
信じたくない。でも救われたい

心の奥にはずっと、
「私は幸せになれない人間なんだ」
という思い込みがありました。
この世界に“安心できる居場所”なんて、どこにもない。
そう信じ込んでいたのです。
でも、そのまま何も変わらずに不安や不調の中で寿命を迎える人生なんて……
絶対に嫌だ。
心の底から、そう思いました。
とにかく自分を救いたいと思っていました。
ヒーリングスクールに申し込んだ本当の理由

そんなときに出会った一冊のヒーリングの本には、こんなことが書かれていました。
「“私は自分の人生を生きている”と感じるためには、
自分自身の生命力で満たされていることが必要です」
「そのためには、自分に属さないエネルギーを手放すことが大切です」
その言葉を読んだとき、私は「これが本当に自分を変えてくれる気がする」と強く感じました。
とはいえ、受講料は当時の私の年収に近い金額でした。
正直、不安もたくさんありました。
それでも、私は申し込みました。
常に抱えていた、「自分は決して幸福にはなれない」という思い。
この世界に安心できる居場所が無い感覚。
そうしたものを抱えて混乱や不健康の中に留まり続け、満足や安らぎを感じないまま寿命を迎えるのは嫌だと、心底思ったのです。
揺れる心と家族の事故——葛藤の中で進む道

スクールが始まる前から、私の心の中はジェットコースターのように揺れていました。
「やっぱり怪しいところだったらどうしよう」
「壺とか水とか買わされるのかも…」
「“悪魔が憑いてる”とか言われたらどうしよう」
そんな不安がぐるぐると頭を回っていたのです。
そんな中、追い打ちをかけるように家族が突然、交通事故に遭ってしまいました。
幸い命に別状はなかったものの、7時間に及ぶ大手術を受け、私は看病とケアに追われる毎日でした。
ストレスから食事が喉を通らなくなり、食べても戻してしまうような状態になっていました。
それでも仕事は休めず、真っ青な顔で電車に揺られながら、必死に日々をこなしていたのを覚えています。
そんなふうに、嵐のような日々を過ごしているうちに、講座の初日が、どんどん近づいてきました。
心のどこかではまだ、ヒーリングに対して100%の信頼を持てずにいました。
「もういいさ。どうせこのまま今の状態でいたって、人生は辛いだけなんだ。
自分だけではどうしたらいいのか、人生の変え方がわからない。
だからひとまず行ってみよう。怪しいところだったら速攻で帰ってくればいいんだ」
そんなふうに心を決めて、私はヒーリングスクールの扉を開きました。
ノートも机もない——常識を覆す学び方

教室には椅子がずらりと並び、机はありませんでした。
つまり、ノートを取ることも、メモをすることもなく、いきなり実践から授業が始まったのです。
ヒーリングはもともと口頭で伝承されてきたものだそうで、講師の説明を聞いたらすぐに「やってみる」という形式でした。
なので、「ちゃんと覚えてからやろう」とか、「理解できたらやろう」なんていう考えは通用しません。
わけがわからないまま、説明されたとおりの手順で、とにかくワークを始めていきました。
頭よりも、体と感覚が先に動き出した

すると、不思議なことに、エネルギーの「手触り」のような感覚が、ほんのりと感じられたのです。
ヒーリングを受けた相手にも変化があり、私自身の体や心も、少しずつ軽くなるのを感じました。
「でも気のせいかも…」
「思い込みなだけかも…」
そんなふうに疑いながらも、体が正直に、少しずつ変わっていく感覚がありました。
それは何かを取り戻していくような、「素」の自分に戻っていくような体験でした。
視界がクリアに——エネルギーが整う瞬間

そしてその日の帰り道のことです。
なんてことない、街中の景色が、びっくりするほど格段にはっきり、くっきりと、美しい色合いで目に飛び込んできたのです。
「あれっ!? 視力が上がったかな!? 街ってこんなにきれいだったっけ!?」
他の受講生たちも口々にそう言っていました。
今思えば、あれは、オーラの中の陰りが一枚はがれた瞬間だったのだと思います。
私はこの日から「自分を癒す旅」を始めた

こうして私は、自分の中にあった“不必要なもの”を一つひとつ手放し、本来の自分を取り戻していく旅を歩みはじめました。
それは当時の私が想像すらしない、驚きと、好奇心とに満ちた、本当の自分自身を知るための長い長い旅でもあったのです。
