「スピリチュアル」
という言葉を聞くと、多くの方が連想するのが、オーラとか、前世(過去世)とか……
あるいは天使や龍神などの存在から受け取るメッセージなどかもしれません。
確かに「自分の過去世がわかった!」というのは、とてもドラマティックな体験ですよね。
私の過去世を思い出した体験
昔、ある街に旅行したとき、その街の教会の鐘の音を聴いた瞬間に、自分の深いところから突然ある記憶がぶわーっと湧き上がってきたことがありました。
その記憶の中で、私は現在とはまったく違う人種、性別、アイデンティティを持った人間で(でも、私の一部は同時に「これは私だ!」とも感じているのです)、そこで生きていたときのワンシーンが強烈に呼び覚まされているのだということがわかりました。
その後、しばらく茫然としていたことを今でも覚えています。
カルマがあると幸せになれない?
一方で、
「私は過去世で○○という罪を犯したカルマがあるから、今生では苦労が多いのだ」
と考えている人や、
「邪悪な宇宙人や悪霊が存在しているから、彼らからの攻撃には気をつけなければならない」
と考えている人もいます。
これは私個人の考えですが、どんなものの見方や価値観、基準を選んだとしても、その人にとってはそれが真実なのだと思うのですよね。
つまり私たちはカルマにとらわれたり、邪悪な存在からの攻撃を警戒することを選ぶことができるし、
「前世やカルマなんて存在しないよ、インチキだよ」
という見方を選択することもできる。
これはたとえば、メーテルリンクの「青い鳥」という本を読んで、
「この本は『幸せは身近にある』という教訓を伝える物語なんだね」
という理解をすることもできるし、
「これは、目覚めの物語だ」
と受け止めることもできる。
もちろんこの2つ以外にも、たくさんの受け止め方が本を読んだ人の数だけあるでしょう。
その人にとっては、なんであれ、選んだ「それ」が“正解”なのです、きっと。
一番大切なことは…
私が思うのは、前世(過去世)で何をしたかとか、カルマがあるかどうかを探るよりも、
邪悪な宇宙人や霊が存在するかどうか検証するよりも、
「その解釈、その理解にふれて、どう感じたのか」
「そして自分は何を選びたいのか」
を、私たちがいつも選択できることを忘れずにいるということが大切だと思います。
そして
「なぜ自分はその解釈、その理解を選んでいるのか」
に向き合うことこそが、本来のあなたへと還る気づきの道には欠かせないことだと思います。
さてあなたは、この記事から何を受け取り、どう感じたでしょうか?