あるとき、スターライトヒーリング・アカデミーの講座で、こんな体験をシェアしてくださった方がいました。
「自分のやりたいことのために休みを取ろうとしたら、
まず最初に『人に迷惑をかけるかも…』って考えが頭に浮かんだんです。
それで、ああ、私は今までずっとどれほど無意識に、自分より人を優先してきたんだろうって気づいたんです」
このお話を聞いたとき、私がふと思い出したのが、メンターから教わった、ある印象的な言葉でした。

とっても強烈な言葉だったんです
「見返りを求めてない」は本当?


その言葉とは、
「“ありがとう”が返ってこなくてガッカリしたなら、それはもう、自己犠牲だったってことだよ」
というものです。
正直に言って、
「別に見返りがほしくてやったわけじゃない。
でも“ありがとう”の一言もないなんて…」
ってガッカリしたりむっとしたりした経験は、私にもあります。
けれども
「ありがとうと言われることを期待してやった」
という時点で、すでに実は、本音ではやりたくなかったけど期待に応えるために無理していたことになるわけです。
“ありがとう”って言ってもらえなかったことが悲しいんじゃなくて、「ありがとうが欲しいくらい、がんばっていた」という選択に、自分自身が疲れていたのかもしれません。
人は無意識に自己犠牲してしまうもの


もしも自己犠牲じゃなかったら、手を貸したことに対して
「ああ、手伝えて・役に立てて、よかった、嬉しい」
という感覚しかなく、ありがとうが返ってきたかどうかは問題にはならないはずです。
「ありがとうが返ってこなかったらがっかりした時点で、それは自己犠牲」
そう考えると、私たちってめっちゃくちゃ「自己犠牲」していませんか?
一切自己犠牲をせずにいることってやっぱり難しい。まあ、現実的には無理ですね。
さらには自己犠牲=悪、とか、絶対に自己犠牲してはダメ、というような単純な話でもないようです。
むしろ、人間って自然にそうしちゃう生き物だということです。
魂がYESと言う選択をするために


人は、無意識に自己犠牲をしてしまうことがある。
だからこそ大切なのは、
- 「あ、今自己犠牲だったかな」って気づける感性
- 「私は本当にこれをやりたいの?」と都度自分に問いかける習慣
- 「欲しい言葉が返ってこなかった=私が何かを期待していた」という自覚
…じゃないかなと思いました。
なかでも「私は本当にこれをやりたいの?」という問いかけは、「今、自分の魂がYESと言っているかどうか」を絶えず自分の内側に照合するということです。
それは自分の感情に責任を持つということになります。
自分の感情に責任を持つという生き方


私たちは、自分の感情にしか、責任を負うことはできません。
私たちが自分の体と自分の人生をどう扱っているかは、私たちの感情に反映されます。
ですから「魂のYESを選び取って生きていく」というのは、自分の人生を楽しむため、味わうために、とても大事な気づきだなと思います。



私も「魂のYES」を選びながら生きていきたいと願っています