こんにちは。エンジェルフォレストのヒーラー、葉月です。
今日はちょっと、ハイヤーセルフについて大胆なお話をお届けしようと思います。
私が最初の目覚め——一瞥体験で得た強烈な気づきはいくつかあったのですが、そのなかのひとつが、これでした。
「私のハイヤーセルフ」「あなたのハイヤーセルフ」
こういう区分そのものが、幻想だ
この気づきを得たときは、もう、本当に打ちのめされてしまいました。
私も、ハイヤーセルフにつながろうとしていた一人でした

というのも、私自身、多くのスピリチュアルな学びで言われているように、「自分のハイヤーセルフにつながろう!」と一生懸命やっていた一人だったからです。
「自分のハイヤーセルフにつながろう」
「ハイヤーセルフからのメッセージを受け取りましょう」
そういうことを、いろいろと実践していました。
でもその一方で、「私のハイヤーセルフ」「あなたのハイヤーセルフ」という概念そのものが、新たな分離を生んでいるんじゃないかな……という違和感も、うすうす、ずっと感じていたんです。
ハイヤーセルフに「人格」はあるのだろうか

そもそもハイヤーセルフって、人格のようなものがあるんだろうか?という疑問もありました。
たとえば、
- 擬人化された神様のような
- 何か賢者のような
- 守護天使のような
そういう人格を持った存在として感じられれば、その存在を認知すること、「そういう存在がいる」と考えることは、わりと簡単になります。具体的になるからですよね。
でも、そのメッセージを受け取る「セルフ」が、エゴにかなり近い領域のセルフだとしたら——。
そこから答えをもらい続けても、結局はエゴの延長になってしまって、本質的な気づきや変容にはつながりにくいんじゃないか。そんなふうにも感じていました。
わかりやすいメッセージがもたらす「陶酔感」

「エゴに比較的近い領域のハイヤーセルフ」という言い方がぴったりなのかはわからないのですが、エゴに比較的近く、それでいて顕在意識の私たちよりは少し高い領域にチューニングすると、非常にわかりやすい、具体的なメッセージが降りてきたりします。
それって、すごくわかりやすいので、受け取る側も伝える側も、ある意味、気持ちいいんです。
「自分はちょっと特別なことができている」
「特別なメッセージを受け取っている」
そういう一種の陶酔感をもたらすものでもあるんですよね。
でも、それって本質じゃないんじゃないかな。そういう疑問を、ずっと持っていました。
上へ上へとチューニングした先にあったもの

だから私は、リーディングをするときも、なるべく個やエゴに近い領域ではなく、もっと高次の、さらに上位の領域にチューニングするようにしていました。
私が教わった方法は、その人の肉体レベルのエネルギーよりも半トーンだけ高い波長にチューニングして、メッセージを受け取りましょう、というものでした。
でもそれだと、成長や気づき、変化・変容といったものが頭打ちになる感じがしていたんです。顕在意識で理解できるレベルのものしか得られないような、もどかしさ。
だから私は、より上位の領域にチューニングしてメッセージを下ろす、ということをやっていました。
ところが、あまりにチューニングが上に行きすぎると、今度は何も返ってこないんです。
完全なる無。
空。
絶えない静けさ。
そういう領域に行ってしまって、もう、それしかなくなっちゃう。実はこれ、私が一瞥体験をする前から、たびたび経験していたことでした。
「全体性」の視座からは、すべてがオールオッケー

この領域は、とても上位のエネルギー領域です。言ってみれば、非常に抽象的なエネルギー領域。
抽象的すぎて、たとえば
- 来週の面接はどうしたらうまくいきますか?
- 親子のコミュニケーションがうまく取れなくなって困っています
そういう具体的で、切実な問いへの答えが、ものすごく取りにくくなるんです。
なぜかというと、完全なる無、空、全体性といった視座から見たら、人間である私たちが面接に受かろうが失敗しようが、親子関係がうまくいこうが断絶しようが、すべてノンジャッジメントだからです。
オールオッケーなんですよ。ただただ、それを静かに見つめている眼差しがあるだけ。
でも、人間として生きている私たちには、やっぱり
- 仕事をうまくいかせたい
- 成功したい
- 幸せになりたい
- 人とのつながりを感じたい
そういう願いがあるわけじゃないですか。
完全なる無・全体性という視座と、人間としての現実の幸福や願い。それをどう結びつけるのか。
個を超えた高い視座から見ながらも、魂や肉体・人格が成長し、この世で幸せや成功にもつながっていくための情報を、どんなふうに受け取っていけばいいのか。私はそれを、ずっと探求してきました。
ハイヤーセルフは幻想です

さて、ここからちょっとショッキングなお話に入ります。
ハイヤーセルフってなんだろう?と、実のところを考えていったとき、少し極端な言い方をしてしまいますが、
ハイヤーセルフって、実は幻想なんです。
「私のハイヤーセルフ」「あなたのハイヤーセルフ」そういったものが、究極的な真実として独立して存在しているわけではないんです。
ただ、誤解しないでいただきたいのは、「じゃあハイヤーセルフなんて全部嘘なんだ」と言いたいわけではない、ということ。ここが、すごく大事なところです。
とても繊細で、言葉にするのが難しいところなのですが……ハイヤーセルフが幻想だというのは、ヒーラーの葉月という人間の存在も、いまこの記事を読んでくださっているあなたという人間の存在も、究極的な視点では、固定された独立存在ではない——
それと同じ文脈での「幻想」なんです。
たとえ話:私たちはみんな、重症患者

ここから、ちょっとたとえ話をさせてください。
私たち人間は、みんなもう体中傷だらけで、とても重い病気にかかっている。自力で起き上がることも難しい、集中治療室にいるような重症患者だ——と、イメージしてみてください。
なぜ、私たちはみんな重症患者なのか。それは、
自分は本来、分離した小さな存在ではなかった。
本来の自分は空であり、全体性であって、
そちらのほうが自分の本来の姿なのだ
ということを、完全に忘れ去っているから。
そして私たちは、この状態から少しずつ回復しようとしています。というのも、私たちの魂の奥底には、「真理を知りたい」「成長したい」という欲求が、デフォルトで——初期設定としてインストールされているからです。
だから、いまは重症で起き上がることすらできないけれど、歩けるようになりたいと切望している。
でも、とても重症なので、「じゃあ今日から立って、自由に歩いてくださいね」と言われても無理ですよね。だから、段階的なリハビリが必要なんです。
ハイヤーセルフは「松葉杖」

そのときに役立つのが、松葉杖です。
「ハイヤーセルフにつながりましょう」
「私のハイヤーセルフは」「あなたのハイヤーセルフは」
こういう区分を残したまま、ハイヤーセルフにつながり、メッセージを受け取ろうとすること。それは、いわば松葉杖を使いながら、自分の足で歩く練習をしているようなものだと考えてみてください。
まだ完全に回復してはいないけれど、松葉杖があるから、安心して立てる。ぎこちなくても、ちょっとずつ前に進むことができる。
だから、松葉杖は悪いものではありません。「松葉杖を使うなんて間違っている」なんてことは言えません。むしろ、必要な時期には、めちゃくちゃ役に立ちます。
「松葉杖マウンティング」が起きるとき
ただ、多くのスピリチュアルな学びでは、「この松葉杖を使って、好きなところへ行けるようになろう」というのを、ゴールに設定しているようにも見えるんです。
ここをゴールにしている段階では、
- いかに自分の松葉杖さばきがうまいか
- 自分の松葉杖が、人と比べてどんなに素敵か
- 「あの人の松葉杖、ラグジュアリーブランドの一点ものでいいな」とうらやましくなる
そんな一種の松葉杖マウンティングのようなものが発生したりもします。
いつか、松葉杖を手放す日がくる

けれど、本当に回復していくなら、いつか松葉杖そのものを手放す日がきます。
ある段階までは、松葉杖は必要です。それは、まったく悪いことではありません。むしろ、起き上がることすらできなかった頃の自分を助けてくれた、とても大切な道具です。
でも、回復が進むにつれて、今度はその松葉杖そのものが制限になってきます。ケガから回復して、どんどん歩けるようになってくると、だんだん松葉杖が邪魔になってくる——それと、とても似ています。
だから、少しずつ手放していくことになる。そしていつか、自力で起き上がって歩くことができるようになります。
起き上がる。つまり、目覚めることができるようになる。
私たちはみんな、自分自身の足で自在に歩けるようになる可能性を持っています。
そうなったとき、うしろを振り返って、「ああ、あの時期の私には、あの松葉杖が本当に必要だったんだな。とっても助けてもらったな」と、感謝することになるのかもしれません。
ハイヤーセルフは「グラデーション」

私は今、ヒーリングなどの講座をしていますが、講座のなかでは今も「〇〇さんのハイヤーセルフ」という言葉を使っています。でも、それを絶対的なものとも、最終的な到達点とも思っていません。
だから「ハイヤーセルフって何ですか?」と聞かれたら、私はよく、こう答えています。
ハイヤーセルフは、グラデーションですよ
個人やエゴといった、人間としての私たちから、大いなる全体性、無限の可能性、空、完全なる無——そういったものへとつながっていく、意識やエネルギーのグラデーション。私は、そんなふうに捉えています。
だから、人生のある時期に松葉杖を使うのも、素晴らしいことです。起き上がることさえできなかったあの頃を思えば、ものすごく回復した状態なんですから。
その先を、伝えてみたい

もちろん、無限や空といった視点から見れば、起き上がらずに一生を終えようが、松葉杖で一生を終えようが、それすらオールオッケーです。ノンジャッジメントですからね。
でも私は、そのさらに先を伝えてみたい。そう感じています。それが、私がこの地球で楽しむと決めているゲームだからなのだと思います。
今日のお話は、スピリチュアル業界から見れば、なかなかヤバめの内容だったかもしれません。
「なんとなくわかる」でもいいし、「そこは違うと思う」と感じてくださっても大丈夫です。
もしこれを読んでくださったあなたの中に、何かひとつでも問いや気づきが生まれたなら、今日はそれだけで、この記事をお届けした甲斐がありました。
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最後まで読んでくださって、ありがとうございました。








