このブログを読んでくださっている方は、おそらくHSPだったり、繊細さや心の優しさを持っていらっしゃる方が多いのではないかと思っています。
そのため、多くの方がこれまで無意識に我慢や自己犠牲をしてしまってきたかもしれません。
人生、このままでいいの? という疑問

無意識の我慢や自己犠牲を続けていると、次第に五感とのつながりが鈍っていってしまいます。
その結果
「何が好きかわからない」
「やりたいことがわからない」
といった状態になってしまいます。
すると、なんだか自分の人生を生きられていない──そういう感覚が大きくなっていきます。
この状態を抜け出して自分自身の人生を生きるためには
「自分にとって何が快くて何が不快なのか」
に気づいていくプロセスが必要です。
ただし!!!
ここに、多くの人が陥りやすいある「罠」が潜んでいるのです。
自己犠牲をやめる時の「罠」

それは──
それまでにたくさん我慢をして自己犠牲を自分に課し、自分よりも先に他者を満たすことを優先してきた方ほど、今度はその矢印のベクトルが真逆を向いて、自分を責めるかわりに他者を責めたり、他者に何かを強いたりしてしまいやすくなることです。
例えば、これまでの我慢が限界を超えたときに
「私はもう、家事なんか一切やりたくないのっっ!!!」
と、家族に怒りをぶつけてしまい、これまで家事を「やらされていた」家族を責めるとかです。
これがなぜ、「罠」なのかというと……
それまで自分を抑圧してきた人ほど、他者に感情をぶつけて責めることが一瞬の「快感」を生むからです。
まるで失っていたパワーを取り戻せたかのような、自分が「成長」できたかのような「錯覚」を生み出します。
怒りをぶつけやすい相手は、一番大切なはずの相手

しかし、それは今まで自分に向いていた抑圧の方向が変わっただけ。
しかも、私たちが怒りをぶつけてしまう相手とは、
私たちの最も身近にいて、私たちがいちばん甘えられる相手、
すなわち、
自分にとって最も大切な存在であるということなのです。
だから一瞬の快感のために最も大切な人を傷つけ、失ってしまうリスクが高くなるんです。
しかも、抑圧の方向が反転しただけでは根本的な不満やモヤモヤの解決に至ることはありません。
自分自身の態度と行動によって、無意識に私たち自身を傷つけているため、自己肯定感も下がってしまうのです。
「快感」と「快適」は違う

ここで、ある住宅設計士さんの言葉をご紹介させてください。
彼は
「『快感』と『快適』は違う」
と言っていました。
極寒の屋外から急に暖かい暖炉の前に来たり、灼熱の屋外から冷房がキンキンに効いたオフィスビルに入ったりすると
「ふわぁ〜、気持ちいい〜!」
と私たちは感じます。
それは、「快感」です。
でも「快感」は長続きしません。
しばらくすると、暑すぎたり冷えすぎたりして辛くなってしまい、ずっとそこにいることはできません。
一方、「快適」な空間というのはそこに足を踏み入れた瞬間は
「………ん?……」
ぐらいの感覚になります。
「もうちょっと空調が強くてもいいんだけど?」
とさえ思います。
けれどそこにいると、いつの間にか、暑いとか寒いとか湿度とか、そういったことをすっかり忘れて、ただただ心地よく、体も心もゆるんで健康になり、いつまでもいられる空間。
それが「快適」な空間であり、永く大切に住み継がれる家は、そのような温熱環境で設計されるべきということをお話しされていました。
自分も相手も大事にできる「あり方」

ふふふ。( ̄▽ ̄)
もうおわかりですね?
その通り!
永くそこにいられる関係性とは、単に、自分の一瞬の快感のために相手に感情のままをぶつけて責めることではないのです。
永く続く関係性や、快適だと感じられる自分自身の状態は、そこに足を踏み入れた瞬間には
「……ん? ちょっともの足りない?」
って思うようなものかもしれません。
でも永く続く快適さはきっと、自分のことも大切な人のことも大事にできる、新しい在り方なのだと思います。
「自分責め」も「他人責め」も超えて「一瞬の快感」に惑わされずに、本当に大切な本質を見失わずにいたいと思っています。