スピリチュアルを学び始めると、どんどん心が楽になっていきます。
そしてオーラが見えるようになったり、ヒーリングできるようになったり、エネルギーを感じられるようになったり……。
ワクワクするような未知の世界への扉が次々に開き、
「私、スピリチュアルを始めてからこんなに成長できてる!」
と嬉しくなることもあるでしょう。
しかし、その先にはまさかの、「成長の限界」が待っていることもあるのです……!
ある時から、成長が頭打ちに…
スピリチュアルを学び始めてオーラが見えるようになったり、過去世の映像も見えるようになったりし、それを相手にお伝えすると、
「えっ、どうしてわかったんですか!?」
といった反応が返ってきたり……。
エンジェルナンバーを頻繁に見るようになって、ワクワクしたり……。
そして
「もっともっと、オーラを見る力を磨こう!」
「もっともっと、自分を浄化しよう!」
と、スピリチュアルな成長に邁進するのですが……。
しかし同時に、知らず知らずのうちに「スピリチュアルな罠」にはまってしまうことが、残念ながら多々あります。
それは「スピリチュアルという幻想」に、自分の力、自分の人生を譲り渡してしまうような状態です。
スピリチュアルを学び始めた目的は…?
最初にスピリチュアルを学ぼうと思った原点を思い出してみてください。
人生をもっと、心穏やかに幸せに生きたいと願ってはいなかったでしょうか。
あるいは目に見えない世界や宇宙の真理を探究したいという好奇心。または気づきを深めて高い視座から自分のことを知りたいという探究心。
つまり、自分を知って、内なる答えに気づき、その気づきとともに人生を生きるためだったはずなのです。
しかし、少なからぬ人がスピリチュアルを学ぶうちに、次第に「スピリチュアル」という他人軸を新たに自分の外側に作ってしまうのです。
たとえば、誰かすごい力を持ったサイキック能力のある人から、
「あなたにはとても高位の守護神がついています」
「あなたのオーラ、チャクラはとても良い状態です」
「あなたの前世はすばらしい○○で……」
と言われることもあるでしょう。
それ自体は全く悪いことではありません。そうした情報を、自分自身を知るための糧として活かすのはすばらしいことです。
でも、もしもそうした情報を、また別の誰かから
「そんなのはインチキだよ」
「あなたのオーラ、チャクラはバランスを崩しているからすぐに××した方がいいよ」
「あなたの体調が悪いのは、過去世のカルマだから仕方ない」
などと言われてイラッとしたり、自分の価値が下がってしまったかのように感じたなら……。
それは、「スピリチュアルという他人軸」に自分を譲り渡しているしるしかもしれません。
スピリチュアルな成長や目的は…
あるいは、自分と他の誰かを比べて
「私はあの人みたいにスピリチュアルな力がない。あの人みたいにオーラや過去世をスラスラ読めない」
「○○さんの方が△△さんよりスピリチュアル的に成長している」
といった比較やジャッジをしていることに気づいたら、それもまた、スピリチュアルな幻想にハマっている状態かもしれません。
スピリチュアルな気づきは、「優れている、劣っている」「正しい、間違い」といったジャッジを超えたものです。
私たちのエゴは、成長の物語が大好きです。
だからすぐに自分と誰かを比べては、ホッとしたり落ち込んだりしやすいのです。
でも、それぞれの人の魂のステージとか、スピリチュアルな目的について、私たちのエゴにすべてが明かされることはありません。
自分自身の内側と、いかにつながるか。
ここに一番の安らぎがあると私は思います。