以前、買い物帰りに意識が拡大し、「目覚めの一瞥」を体験したお話しについて書きました。
あのときの体験は、今までの常識や感覚がすべて破壊されるかのような強烈さがありましたが、その後もちょくちょく「真実」に触れる機会があるので、今日はそのうちの一つをお話ししようと思います。
過去も未来も、無限のパラレルワールド
「今この瞬間は、無限の可能性を持ったパラレルワールドの一つにすぎない」
という言葉を聞いたことがおありの方もいらっしゃるでしょう。
でも私は長いこと、「そうは言われても……意味がわからない」という状態でした。
時間は過去から現在、そして未来へと、まるで川が流れるように1本のラインで結ばれて、時間が過去から未来に向かって流れているように認識していましたし、実際、その中で体験が起きていると思っていました。
これまでを振り返ってみたところで、どこにもパラレルワールドとの接点や分岐点は、思い当たらなかったのです。
「瞬間」の解体
しかし、あの買い物帰りの覚醒体験から数ヶ月。
その日私は、平日の昼間、ガラガラに空いた電車に乗っていました。
向かいの座席には熱心にスマホゲームをしているお兄さんが座り、少し離れたところには品の良いマダムが腰掛けていました。
あと数分で降りる駅に着く……。
そう思った瞬間、ゆっくりと「瞬間」が解体し始めました。
もう少し詳しく書くと、私の意識は、あの買い物帰りに拡大して気づきに至ったレベルに一部分が引き上げられているような感覚です。
なので、「走る電車、乗っている私、お兄さん、マダム、車窓の外を流れる風景」といったものたちを、すごく高いところから俯瞰しているような感覚(でも、私の体は電車のシートに腰掛けているのです)。
そしてそれらがゆっくりとスローモーションになっていくような感覚でした。
そのスローモーションが際限なくゆっくりになり、速度を落とし……そして、
静止しました。
「瞬間は、静止しているんだ」
と、私は深く腑に落ちました。
しかしそれだけではありません。
無限は、文字通り「無限」
その静止した「瞬間」──その中には電車も、私も、お兄さんも、マダムも、その他その瞬間にこの世界に、宇宙に存在していたあらゆるものが含まれています──は、いわば巨大な3Dのパラパラ漫画の一コマのようなものでした。
そして宇宙の“外側”──というのも変な表現ですが、超越領域とでも呼びましょうか──から見ると、この宇宙に存在しているあらゆるものを含んだ立体3Dの一コマが無限に、文字通り無限に存在しているのです。
その一コマ一コマたちは、ほとんど同じように見えるのですが、ごくわずかに異なっています。
どこがどう異なっているか、という可能性は、まさに無限にありますよね?
たとえば、雲の形がちょっと違うとか、おにいさんがプレイしていたスマホゲームの種類が違うとか、マダムの髪の毛が一本だけ寝癖になっている・いない、とか、とかとかとか。
そんなふうに無限の数の、その瞬間の3Dパラパラ漫画があり、それはその瞬間だけでなく、過去から未来まですべて含めた、文字通り無限の、まさに無限の数の3Dパラパラ漫画の一コマたちが存在しているのです。
そして、その無限に存在するパラパラ漫画の一コマから、たった一つの一コマが選ばれた。
それが「今、この瞬間」なのだ──
それが腑に落ちた瞬間でした。
私よりももっと大きな「いのち」が私を生きている
パラパラ漫画って、昔退屈な授業中に教科書やノートの隅っこに落書きしたものですが、あれって、紙を「パララララ…」ってやると絵が動いて見えるのがおもしろかったですよね。
動いて見えるけれども、パラパラ漫画の一コマ一コマは動いていません。静止したただの画像です。
あれと同じように、実はこの「たった今のこの瞬間」は巨大な、宇宙全部が入った3Dの静止画であり(3Dだから静止“画”ではなくて静止“立体”とか静止“像”の方が正確かもしれません)、どの3D静止画を選ぶこともできるのだということが、いわば「見えた」という体験でした。
個人として存在している「私」よりもはるかに大きな、いのちそのもの、大いなるすべてが、無限の可能性の中からたった1つの3D静止画を選びながら、静止画から静止画へと渡り歩いている。
それが、「時間の経過」という幻想として、私たちが体験しているものなのです。
エゴの抵抗と無限の癒やし
つまり、ここでもまた、個人としての「私」は存在していない、あるのはただ、いのちそのものだけだ──
ということが明らかになり、私のエゴは激しく抵抗しました。
ただ、同時に、過去も未来も無限のパラパラ漫画から選べるなら、やっぱり個人の心の癒やしの可能性もまた、無限じゃないかと思うのです。
私もただ者ですから、ふだんはこうした覚醒体験のことはきれいさっぱりと忘れて、日々の生活に追われています。
けれど、スターライトヒーリングのセッションをする時、
「ああやっぱり、本質は無限であり、癒やしの可能性も無限なんだな」
「過去も未来も、どれだけの幸せも、本当に無限のなかから自由に選べるんだな」
って実感するのです。